移植の待機時に思い出した苦い記憶…
Pのマークはトイレや自販機がある場所
ということを知っていました。
また、あまり長く我慢していると
思われたくなかったので
(もう4年生だし、という自尊心…)
サービスエリアまで5kmの標識がでたところで
祖父に伝えていました。
そして1kmの標識も見え、やっとというところで
歩道橋で上下線の施設が行き来でき(子供心にも響く特別感)、フードコートやレストランを設置。今はドッグランもあるようだ!
本当にひどかった…
1kmの標識が見えた時点で、ここで寄ってねと言えばよかったのですが、やはり恥ずかしくて言えなかった。
待機時にあまりにもエマージェンシーだったので
いらない記憶まで呼び起こしました。
あの時の教訓が今いきる…
移植の前もレスキューしてもらっていたので
ある程度落ち着いた状態で処置を受けられました。
エコーを一緒に見られる…等はなく、
お腹にエコーを当てながら(冷たい)
5分程度の処置でした。
痛みは人工授精よりは小さかったです。
ただ、予想していたよりは
奥までぐいぐい管が入り、やや痛くらい。
先生に力を抜いてと何度も言われ…
(どこを抜けばいいんじゃい!)
深呼吸したりいろいろしてみましたが、
結局抜けずに終わったようです。
移植後はユベラ、ワンアルファ、ワンクリノンが
処方されました。
判定日はET11、HCG 3.22で
この時の治療は終了しました。